ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

野暮

「どうして、彼に話そうと思ったの?」

先日の「女をしたい・男をしたい」話が面白かったので他の人にも話したら、尋ねられました。どうしてって、なんだよ。


 

男性に(かわいいな)と思われたくて女らしさをアピールする「女がしたい」行為。これを男友だちに話したら「俺も、男がしたい」と言われて、案外男女というのは、需要と供給が一致するのだなと納得した話。それを他の人にも話したら「どうしてその話を、その男友だちにしようと思ったの?」と問われました。

 

おそらく「女をしたかった」と言わせたかったのでしょう。わたしが彼の気を引きたくて。まさしく「女がしたくて」そんな話を持ちかけた、と言わせたいのでしょう。でもわたしは、そんな気 微塵もありません。神に誓って言えます。わたしと彼は「友だち」。だから、問うたその人の吊りあがった口の端に手をかけて、そのままぐんと引いて、裂いてやろうかと思いました。まったく不愉快でした。

 

なぜ人は、親しい男女に深い仲を邪推するのでしょう。恋とか愛とか、もっとどろどろした下心とかを彷彿とするのでしょうか。

 

友情の延長線上に慕情のある人が、そんな浅はかな考えに至るのだと思います。恋愛対象ではない相手との交友関係は「友だち」が最高潮だけれど、恋愛対象にある相手はさらに関係を進めれば「恋人」になる。だから、親しい2人を見かければ、恋愛関係の可能性を想像して、口の端をにやにやと、嫌らしく吊りあげるのです。まったく、短絡的。

 

たしかに、友だちが恋愛に発展する関係もあるでしょう。女の子が「女友だちだよ」と言って飲みに行く彼氏を良く思わない気持ちもわかります。

でも、少なくともわたしは、恋愛を、そしてよりいっそう友情を、もっと崇高で特別なものに思っています。「別れましょう」では終われない、終わらせたくない大切な関係。わたしと彼は、そういう関係です。

 

この話をまた、彼にしようかと思いました。でも、やめました。わたしたちの関係に、この話はあまりに野暮です。