ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

プロ

「プロって、どこからがプロなんだろうね」

最近、プロの方にお話を伺う仕事をしています。家電のプロ、カメラのプロ、寝具のプロ。物事を極めた方のお話は興味深く、お話しくださる姿は堂々としてかっこよいものです。わたしにとって彼らは“プロ”以外の何者でもなく、彼らにお話を伺うわたしは、どうしたって貧乏暇なしな駆け出しライターでした。

 

「プロっていうくくりを、もっと細分化してほしいと思ってる」

取材の最中に、プロのその人は言いました。

「プロっていっても、表現したいものを表現するプロもいれば、お客様の要望をカタチにするプロもいる。理想を追うプロもいれば、知名度を求めるプロもいる。高収入のプロもいれば、低収入のプロもいる。プロって、どこからがプロなんだろうね」

その問いかけに、わたしは答えられませんでした。だって、プロのその人が問うた最適な解答を、駆け出しのわたしが用意できる気がしませんでした。

 

「そんなのプロじゃないよ」

いつか、前職の先輩が言いました。先輩いわく、その人の持っているものでお金を稼いでこそ、その人はその道のプロだとのこと。

「学校に通ったわけでも、資格をもっているわけでもない僕らは果たしてプロなんだろうか」

先輩は言いました。

 

わたしは2人ともプロだと思います。プロだからこそ、プロの意味を問うのだと思います。だって駆け出しのわたしは、もし「プロ」なんて言われたら嬉しくて舞い上がって、次の日から少し上を向いて、肩で風をきって歩くでしょう。

「プロっていう言葉に、責任を感じるんだよね」

プロのその人は言いました。

 

わたしがその責任を感じられるときは、来るのでしょうか。プロという肩書きに驕ることなく、プロたるゆえんを自他ともに認められる、そんな人間になれるでしょうか。いつか、どうしたってそうなりたいと思います。そう思う時点で、わたしもプロの駆け出しにいるのでしょうか。